「そんなつもりなかったのに」何気ない発言が、対立を生み出すきっかけになってしまう。それって自分で気づけない思い込みが原因なのでは?写真研究者の小林美香さんから「ものの見方」を学びながら、「正しいか、間違いか」ではなく、自己と他者の考えに向き合う方法を全社で探りました。
1973 年生まれ。国内外の各種学校/機関で写真やジェンダー表象に関するレクチャー、展覧会を企画するほか、雑誌やウェブメディアへの寄稿など、執筆や翻訳に取り組む。東京造形大学、九州大学非常勤講師。 著書に 『写真を〈読む〉視点』(単著 青弓社 2005年)、『〈妊婦アート〉論:孕む身体を奪取する』(共著 青弓社 2018年)。
2023年9月『ジェンダー目線の広告観察』(現代書館)を上梓。私たちを取り巻く広告を観察し、無意識に刷り込まれる規範や価値観を解きほぐす1 冊。
グラフィックノベル『Gender Queer: A Memoir』(2019)の日本語版出版に向けたクラウドファンディングを実施中(10月23日まで)。
自分では気付けない偏見を乗り越えて、本質を掴むために
自分の考えをうまく言葉にできないことがあります。意見を言ったら相手を傷つけないだろうかと考えすぎて、本当はそう思っていないのに、同調や共感のような……いわゆる一般的に“正しい”言葉を探してしまう。
あるとき、人に「それって普通の考え方じゃないよね」と冗談混じりに言われたことがありました。その時は、反論するほど言語化ができず、角が立つのも嫌だと思い、結局うやむやに……。
「正しいか、間違いか」を前提で考えることに慣れてしまって、それが自分の意見か一般論なのかがよくわからなくなってしまったり、意図せず対立を生んでしまったりする。悪気もなく伝えた言葉がきっかけで相手を傷つけてしまう。もしくは傷つけてしまったのではないかと、もやもやしてしまう。こんな経験、皆さんにもあるのではないでしょうか。
FICCが向き合う、ブランドコミュニケーション(ブランドと生活者の関係性)においても同じことが言えるのかもしれません。
私は、このFICCというブランドの活動を伝えるべく文章を書いています。ただ、自分で気づかないうちに記事を読む特定の誰かを傷つけてしまう可能性もあるのかも、と常々考えています。
JARO(公益社団法人 日本広告審査機構)によると、広告の苦情・照会などの22年度の総受付数は6,405 件、うち「苦情」は4,844件※。全体的に減少傾向にあると言えど、コロナ禍以前とほぼ横ばいです。広告に限らず、多くの企業のアクションが、特定の正解を押し付けるようなコミュニケーションになってしまっていることで、正しい・間違いの討論だけがなされている社会の現状があると思います。
“正しい見方”をするのではなく、相手の視点を理解して、自身の視点も明確にする。それができるようになるためには、どうしたらいいのでしょうか?
ものの見方の本質を掴む勉強会
突然ですが、FICCの社内では、「パースペクティブ(視点や見方)」という言葉が多用されています。その人の“世界”であり、感情や歩んできた背景もが内包される言葉。たくさんの見方に出会い続けることが人の理解につながり、価値提供ができると。そう信じています。
私自身、きちんと実践ができているのだろうか……。そんなことを考えていた矢先の2023年9月、「パースペクティブの脳トレをしよう」という勉強会が社内で開催されました。クライアントと向き合い、ブランドアクションへつなげていくために。まずは、ものの見方を学び、FICCの目指すパースペクティブの本質を掴むことが目的です。
今回、講師でお招きしたのは、写真研究者であり、表現とジェンダーに関するレクチャーや執筆を行う小林美香さん。小林さんは日頃、ジェンダー表現の観点からSNSを広告観察のツールとして使い、街頭や電車内、公共空間などの広告分析を行っています。
その発信のきっかけや、ものごとを見る姿勢に共感して声を掛けたというFICCの伊藤をはじめ、村中、上野の3名の運営メンバーたち。それぞれが抱いていた想いが、この会の実現につながりました。
伊藤真愛美
村中沙織
上野美紅
大切なことは面倒くさい。「見る」ことは見えないものを想像する「行為」そのもの
はじめに見せていただいたのは、馬と一緒に映る小林さんの写真。
小林美香さん(以下、小林)
一方で、個人としての「社会学的な認知」も持っています。私は、元々は写真を扱う立場として美術館や美大で仕事をしてきました。ジェンダー、人種、年齢などの社会的属性や価値観が、表象の中に「どう反映されているか」を分析・調査して言語化して伝える仕事です。
全員が「生き物として」「社会的な存在として」このふたつの認知を持っている。この双方が大切だと思っています。人は、言語化できない固有の認知もないと生きていけません。
当たり前だけど、忘れてしまうこと。膨大な情報に囲まれて生きる中、どこから考えていけばよいのでしょうか。
小林
“見る”とはなんなのでしょうか。小林さんの、アートや表現に関わる視点と知覚や認識のあり方への関心からヒントをもらいます。
小林
そして、社会生態学者を名乗ったピーター・ドラッカーは“観察”をしてきた人です。「コミュニケーションにおいて、最も重要なのは語られてないことを聞くこと」「コミュニケーションは受け手が決める」と言っています。
どう見ているか。それが、コミュニケーションの価値を決める。さまざまな視点から考えるポイントは、見えないことを考えること、語られていないことを聞くことに近いと思います。
見えないものを想像する……。文脈や背景を知ろうとすることも、“見る”という行為にきっと含まれるのでしょう。SNSの炎上のように、前後の文脈が見えていない故の勘違いから、対立が起こってしまうことも。
小林
この話を聞いていて、ふいに自分が飼っている猫のことを思い出しました。言葉が通じないからこそ、自分は生き物だったと思い出させてくれる存在。だから一緒にいて楽だと感じるのかもしれません。人は言葉が通じる、だから難しい部分もあります。
小林
確かに、手数となると、言語に頼らないビジュアルコミュニケーションに頼るのも一つです。美術館に行って、作品を眺めることも自分の視点を広げるヒントになるのかも……。
小林
この話を聞いて、小林さんが言っていた「受け手が価値を決める」が腑に落ちました。特に短期的なものを訴求するようなブランドコミュニケーションは、後に残すことを考えていない分、しっかり見ることも難しい上に、受け手との対立構造を生み出してしまう例もあります。見えないものを考えるってやっぱり難しい。そこで、小林さんにもう少し具体的な見方や考え方を伺います。
小林
「〜すべき」から離れ「何を大事にしたいか」を問うて、相手と対話する
実際に、このワークをFICCメンバーでも行っていきます。事前に、運営チームから「違和感を持ったことのある、ブランドアクションやコミュニケーションを一つ取り上げて、理由を考えてきて」という宿題が出されていました。
その内容を元に、近い関心ごとで組まれた2〜3名のチームで、50分間の対話をスタート。miroを使いながら、葉っぱに見立てた付箋を増やし木を育てていくイメージで、新たな発見や問いを自由に広げていきます。
私のチームは、婚活・妊活といった、女性をターゲットにした広告をピックアップしていました。最初に、このトピックの話を普段しないからこそ、話し辛さや居心地の悪さを感じてしまうという共通意見が出ます。
ぽつぽつと話を進めるうちに、「なぜそう思ってしまうのか」とふと立ち返ります。社会の一般的と言われる考えにどこかで「はまらなければ」と決めつけてしまっている自分がいるのかも。自分にも、正しい・間違いの判断基準が無意識に染みついてしまっている……。それは、当てはまらない自分自身を否定することになり、息苦しさにつながってしまうことに気づいた瞬間でした。zoomが残り数秒となった時「もっとたくさん話したいね」そう言って対話を終了しました。
小林さんが「言葉の伸び方」が面白かったというチームのメンバーは、あるネット企業の震災募金広告のコピーに違和感を感じたそう。一般論で語られていることにモヤモヤしたと。同じことを発するにしても、企業の想いとして発するのか、一般論として発するのか。同じような文脈でも、言葉を少し変えることで、受け取り方が大きく違うということに気づいたのが発見だったと言います。
会の最後に代表の森は、「パースペクティブを”見る”という行為として捉えることで、その意味がアップデートされた会だった」と語りはじめます。
森啓子
まだまだこの取り組みは始まったばかりですが、新たな気づきを得たり、クライアントへの価値提供のヒントになったという感想もメンバーたちから挙がりました。
傾聴の姿勢。場づくり。その場での状況に応じた即興性。これらをブランドアクションにつなげていきたい。ークリエイティブディレクター
見ることは、受け止めること。「〜すべき」から離れ「何を大事にしたいか」を問うてみることが、コミュニケーションの足がかりとなります。それができたら、みんながもっと生きやすい社会になるのかもしれません。
大切なことは大体面倒くさい。自分の視点は自分にしかわからない。まずは自分に向き合うところからはじめましょう。「正しいか・間違いか」いつかその概念すらも取っ払っていけることを願って。
執筆:深澤枝里子(FICC) / 撮影:後藤真一郎