ume,yamazoe(以下・ume,)は、奈良県山添村にある3組宿泊限定のホテルです。
2020年3月の開業当時はコロナ禍で、ホテル業界は厳しい時期でしたが、ターゲット別の集客戦略の成功や、併設されたフィンランド式サウナが話題を呼んで、一躍予約が取れない人気宿へと急成長します。
売上を堅調に伸ばす一方で、「サウナ」が話題になったこともあり「サウナ宿」と語られることも増えたそう。オーナーの梅守志歩さんは「サウナも魅力ではあるけれど、ume,としてやりたいことが本当に実現できているのだろうか」と、ブランドのあり方に違和感を覚え出したと言います。
そこで梅守さんは、友人でもありume,のブランディングを担当するFICCメディア・プロモーション事業部 京都 プロデューサーの桂とともに、開業時大切にしていた想いを紐解き、ずっとやりたかった『障がいや病気のある方のための宿泊招待 HAJIMARI』という取り組みを始めました。
大きな反響を集めつつある『HAJIMARI』はリブランディングとしての意味合いもあったそう。取り組みを行うなかで大切にしたこと、得た気づきなどを、梅守さんとFICC桂が振り返ります。
開業2年で予約困難の人気ホテルへ。
ビジネスが好調な一方で、ブランディングに感じた違和感
2020年3月、コロナ禍真っ只中でしたが、ビジネスとしては順調にスタートダッシュが叶っていたume,。オープン後1年はサウナファンのお客様で満室になる日々でしたが、梅守さんは「サウナのある古民家」というイメージがつきすぎていくことに、徐々に違和感を覚えるようになりました。
梅守:確かに「サウナ」はume,を構成する大切な要素のひとつなので、「サウナのある宿」というイメージはその通りです。だけどume,にとってサウナは「優しい感覚になれる場所」というume,が目指す姿を体現したもののひとつでしかありません。なのにその部分ばかりフィーチャーされてしまい、「お客様に本当に私たちの想いが伝わっているだろうか?」という違和感があったんです。
桂:オープン前から梅守さんとは「流行は持って3年」とよく話していました。現にサウナが流行りだしたここ数年、ume,のライバルになる価格帯でサウナのある宿は爆発的に増えています。「サウナ」の集客依存は集客戦略的にも良くない。何より「そもそもume,がやりたいのは『サウナのある古民家』ではない」ということはずっと梅守さんと意識していたんです。ビジネスとしては成り立っている一方、本来伝えたかったブランドの思想が伝わりにくくなっていたので、「今一度ume,のコアとなる理念やビジョンをお客様に伝えなおしましょう」と話し合いました。
創業時の想いを紐解き、伝わるリブランディングを。
宿泊招待『HAJIMARI』が生まれたきっかけ
リブランディングの第一歩として、原点に立ち返り「ume,がそもそもやりたいことってなんだっけ?」と言葉を紡ぎ直すことから始めたそうです。
梅守:ume,は、「障がい、病気、性別や宗教、年齢にとらわれることなく”いろんな人”が、心穏やかに、優しくなれる場所」を作りたいと思って開業しました。サウナや自然との近さ、宿泊者同士の会話が生まれやすい空間設計も、そういった想いを形にしたものでした。
桂:そのume,の想いを紐解き、何度も対話して、ビジョン・ミッション・バリューを考えました。それと同時に、すでにあったブランドブックを刷新し、「サウナを作った理由」や「コンセプト」を丁寧に言語化していきました。ここで、あくまでもサウナは理念を体現する装置のひとつであることを整理していきました。
梅守:自分たちの向かう方向性が少しずつはっきりしていくなかで、私たちが目指しているのはもっと大きなことであり、まだまだやれることがたくさんあると感じました。そこで、前からずっとやりたかった「旅をしづらくなっている障がいや病気のある方やそのご家族をume,に無料招待したい」と、桂さんに相談したんですよね。
桂:その案は以前から聞いていましたし、ume,のビジョンを体現するアクションとしてぴったりだと思いました。ただ、サイトやSNSで普通のお知らせと同じように募集を載せるだけだと、特に広がりを見せずに終わってしまうのではとも思いました。
桂:大切な取り組みですし、どうせやるならたくさんの人に伝わるようにしたい。また、そのタイミングで悩んでいた「サウナのある宿」だけでないume,のブランドイメージ付けをできるいい機会だと思ったので、広く露出できるよう戦略的にプレスリリースを活用することにしました。
梅守:そういえば、はじめは「無料ご招待DAY」という名前でリリースしようとしていたんですよね。
桂:そうでしたね。ですが、実は弊社のクリエイティブメンバーから、ストップがかかったんです。素敵な取り組みなのに、このままじゃあんまり伝わらないって(笑)。
「訪れる人にとって、なにかのきっかけになる、”はじまり”の時間になるように。そしてume,にとっても新しい挑戦、”はじまり”になるように」そんな意味をこめて、『HAJIMARI』とプロジェクトを名付けて、発信することにしたんです。
メディア掲載や、SNSシェアを多数獲得。
共感と露出を生む、ビジョンに接続されたプレスリリース
月に1度、障がいや病気のある方やそのご家族や大切な方をume,にご招待し、旅の時間をプレゼントする『HAJIMARI』。その実現に向けて、プレスリリースの準備が進められました。
桂:プレスリリースで伝えることは、何度も再考しました。というのも、真意が伝わらないと、取り組みの対象者である障がいや病気がある方や、そのご家族を傷つけてしまう可能性もあるし、「人気の宿がいいことをしようとしているだけ」と、ume,にとってネガティブに受け取られる可能性があるからと考えたからです。だから発信においては「なぜume,がやるのか」を丁寧に伝えることを大切にしました。
具体的には『HAJIMARI』は、ume,が目指すビジョン「障がい、病気、性別や宗教、年齢にとらわれることなく”いろんな人”が、心穏やかに、優しくなれる場所」を体現する取り組みであることを伝えることと、梅守さん自身が『HAJIMARI』の対象者だったので、彼女が『HAJIMARI』を実行した背景や動機を丁寧に伝えることを意識しました。
梅守:そうなんですよね。私の家族には急性白血病を患った妹と、後天性の重度の精神疾患を患った姉、あきちゃんがいます。
妹は快復し、今は健康に生活できていますが、あきちゃんは18年前、いわゆる「健常者」だったのが、ある日突然人格が変わり、重度の精神疾患を抱える障がい者となりました。今は2〜3歳くらいの知能となり、日々家族でサポートをしながらお家で生活をしています。
あきちゃんは、この障がいが原因で、そのときのご機嫌次第で、大声を出したり騒ぎ出したりしてしまうことがしょっちゅうあります。
まわりの方にご迷惑になってはいけないので、家族全員でそろって外食や旅行をすることはとてもハードルが高いです。今日はご機嫌がよさそうと、一緒にレストランに行っても、申し訳ないですがお料理の途中で退席させていただくことも何度もありました。
桂:梅守さんが大学生〜社会人なりたてくらいに、妹さんもお姉さんも発症されたって言ってましたよね。当時は全然知らなかったですが……。
梅守:そうですね。このころ家族の病気や自身の就職活動なども重なって、少し記憶がないくらいです……。
ふたりは大切な家族の一員なので、いろんな苦労もありましたが、その障がいや病気がきっかけで、自分の幸せが奪われたとは思っていません。
でも、日々の生活の中で、周りの目や環境により、「本当はこうしたいのに」ができなかったり、違和感を覚えることも少なくありませんでした。時々どうしようもなく、自分を責めたり、落ち込んでしまうこともたくさんありました。
梅守:どこに向ければいいかわからない違和感や憤りがあった時、私をほぐしてくれたのは自然であり、旅でした。普段とは違う場所や、自然の中でリラックスして過ごすことで、自分自身をゆっくりと見つめ、心穏やかに、前向きに変わってこられたように。
誰かの「やってみたかったことができる」や、「少しほっとできる」きっかけをつくるお手伝いをしたいと言うのがこの取り組みを始めた理由です。
桂:この話を聞いて、彼女自身がターゲットで、言葉には嘘がなく、すごくユーザーを惹きつけると感じました。なので、梅守さんがこの取り組みをはじめたいと思った理由は丁寧に語るようにしています。
なぜやるのかのビジョン、そしてリアルなユーザー視点の活動の動機をしっかり語ることを徹底した結果、『HAJIMARI』をリリースした後の反響は大きかったそう。
SNS投稿のシェアは100件以上にのぼり、いいね!の数は約1400件。そのほか多くの新聞・メディアにも取り上げられ、『HAJIMARI』には定員を超える100組以上の応募が集まりました。
ブランドマーケティングへの寄与、共創パートナーの創出。「パーパスが資源になる」を目の当たりにした1年間
丁寧に発信したプレスリリースは、エンゲージメント率の高さ以外にも、さまざまなポジティブな効果をもたらしたといいます。
梅守:リリース後は、想像をはるかに超えるお申し込みをいただいてびっくりしました。
また、『HAJIMARI』の応募以外にも集客へも大きな変化があったんです。リリースを出す以前は障がいや病気のある方の宿泊はほぼなかったのですが、今では1〜2週間に1件のペースでご来館いただけるようになりました。
「サウナのある宿」から「いろいろな人が集まる、優しい感覚になれる場所」という本来のブランドイメージが広がりつつあることを、身をもって感じています。
桂:結果的に狙っていたイメージが世の中に浸透してよかったと思っていたのですが、集客も向上するなど、ブランディングとマーケティングのどちらにも良い影響がありました。想定以上の結果につながってとても嬉しかったです。
梅守:「なぜうちがそれをやるの?」ということを、桂さんが丁寧にアウトプットしてくれたおかげで、想いに深く共感してくださるお客様が増えている実感もあります。
桂:そんな風に言ってもらえて光栄です。何度も対話を重ねて形にしたものが、確かに広がって、誰かの心を動かし、ほんの少しかもしれないけど世界をよくしていく。そんなプロジェクトに関われたことを嬉しく思います。
また、私はここでパーパスがさまざまな資源をつくることを目の当たりにしました。
目指す世界を言葉にして、最適な場所で掲げ続けることで、ブランディングやマーケティングにポジティブに働くだけでなく、ume,の『HAJIMARI』を応援・協力をしてくださるパートナー企業との出会いもすごく増えたんです。
いろんな可能性につながるプロセスをダイレクトに体験できたことは、私にとって大きな学びになりました。
小さな宿のリブランディングから、新規事業へ発展。
「四方よし」を叶える仕組みづくりへのチャレンジ
最後に、『HAJIMARI』について今後の展望を語りました。
梅守:2022年1年間で『HAJIMARI』を始め、これまでに旅をプレゼントしたご家族は11組48名。お越しいただいたご家族のみなさまに、とても喜んでいただけたことは何よりも嬉しかったです。一方でお話を伺うなかで、こういった旅や余暇の時間はすごく求められているのに、まだまだ足りていないという現状を知りました。ume,だけでこれらのニーズに応えるのは難しいことも痛感しました。
桂:私もユーザーの喜んでいる姿を見れたことはとても嬉しかったです。また実際にやってみると、思った以上にニーズがあったことに驚きました。そして協力したいと言ってくれる事業者もたくさんいる。だったら、ume,だけでやるのでなく、業界を巻き込んだ活動にすればいいんじゃないかと考えました。
梅守:そんな思いから、今はume,と組織を分けて、任意団体「HAJIMARI」を桂さんたちと立ち上げました。障がいや病気のある方がもっと旅を楽しめる世界を目指して、さまざまな活動を実施していく予定です。
桂:元々はひとつの企業のリブランディングから始めたことでしたが、新たな文化やマーケットを作るような、もう一段大きなチャレンジに発展しました。
大きな目標を掲げた今こそ、クライアントや目の前のユーザーに向き合うことを改めて大切にしながら。クライアント・ユーザー・世の中、そして、携わる共創パートナーそれぞれにポジティブな影響が出るような、「四方よし」が叶う仕掛けを一緒に考えていけたらと思います。
執筆:黒田洋味(FICC) / インタビュー撮影:岡安いつ美